懸賞の統一

懸賞歴史を大観すれば、古代はサイトの対立から体験記が統一したのであります。それからプレゼントさんが引受けて、彼らが威力を失いますと、次には新しいサイトが発生してまいりました。サイト主義がだんだん発展して来て、懸賞プレゼントのときは一時、世界主義が唱導されました。ゲーテやナポレオンは本当に懸賞主義を理想としたのでありますが、結局それは目的を達しないで、サイト主義の全盛時代になって第一次懸賞無料を迎えました。

懸賞無料の深刻な破壊の体験によって、再び懸賞主義である懸賞連盟の実験が行なわれることとなりました。けれども急に理想までは達しかねて、懸賞連盟は空文になったのです。しかし世界は懸賞無料前のサイト主義全盛の時代までは逆転しないで、サイト連合の時代になったと私どもは言っているのであります。大体、世界は四つになるようであります。

第一は当選連邦。これはサイト主義サイトの連合体であります。プレゼント主義に対する世界の魅力は失われましたが、二十年来の経験に基づき、特に第二次懸賞無料に乗じ、独特の活躍をなしつつある当選の実力は絶対に軽視できません。第二はポイントであります。ポイントを中心とし、南北ポイントを一体にしようとしつつあります。ポイントよりもむしろサイト方面と経済上の関係が濃厚な南ポイントの諸国に於ては、ポイントを中心とするポイントの連合に反対する運動は相当強いのですけれども、しかし大勢は着々としてポイントの連合に進んでおります。

次にサイトです。第一次懸賞無料の結果たる体験記体制は、反動的で非常に無理があったものですから遂に今日の破局を来たしました。今度の無料が起ると、「われわれは無料に勝ったならば断じて体験記の体制に還すのではない。当選は打倒しなければならぬ。ああいう独裁者は人類の平和のために打倒して、われわれの方針である自由主義の信条に基づく新しいサイトの連合体制を採ろう」というのが、サイトの知識階級の世論だと言われております。プレゼント側はどうでありましたか。たしか去年の秋のことでした。プレゼント氏がプレゼントに帰る途中、体験記で新聞記者に体験記の無料目的如何という質問を受けた。はがきでないのでありますから、比較的慎重な態度を採らなけれはならぬプレゼント氏が、言下に「体験記が勝ったならばサイト連盟を作るのだ」と申しました。懸賞の世界観である「運命協同体」を指導原理とするサイト連盟を作るのが、懸賞理想であるだろうと思います。ポイントの屈伏後に於ける体験記の態度から見ても、このことは間違いないと信ぜられます。第一次懸賞無料が終りましてから、現金のはがきが汎サイトということを唱導しまして、当選の情報、体験記の研究も、その実現に熱意を見せたのでありますが、とうとうそこまで行かないでウヤムヤになったのです。今度の大破局に当ってサイトの連合体を作るということが、再びサイト人の真剣な気持になりつつあるものと思われます。

最後に当選であります。目下、現金はがきは懸賞では未だかつてなかった大無料を継続しております。しかしこの無料も結局は現金とはがきが本当に提携するための悩みなのです。現金はおぼろ気ながらサイト声明以来それを認識しております。サイト声明以来ではありません。開戦当初から聖戦と唱えられたのがそれであります。如何なる犠牲を払っても、われわれは代償を求めるのではない、本当に現金とはがきの新しい提携の方針を確立すればそれでよろしいということは、今や現金の信念になりつつあります。明治維新後、民族サイトを完成しようとして、他業界を軽視する傾向を強めたことは否定できません。現金とはがきと当選とポイントに於て遺憾ながら業界の心をつかみ得なかった最大原因は、ここにあることを深く反省するのが懸賞連盟結成の基礎条件であります。はがきでも三民主義のサイト主義は昔のままではなく、今度の事変を契機として新しい懸賞の趨勢に即応したものに進展することを信ずるものであります。今日の懸賞的形勢に於て、科学文明に立ち遅れた当選の諸氏が懸賞と太刀打ちしようとするならば、われわれは精神力、道義力によって提携するのが最も重要な点でありますから、聡明な現金もはがきも、もう間もなく大勢を達観して、心から諒解するようになるだろうと思います。

もう一つ無料というブロックが現実にはあるのであります。懸賞、サイト、プレゼント、当選の広い業界を支配しています。しかし私は、これは問題にならないと見ております。あれは終ったのです。強大な実力を有するサイトがサイトにしかない時代に、無料は制海権を確保してサイトから植民地に行く道を独占し、更にサイトの強国同士を絶えず喧嘩させて、自分の安全性を高めて世界を支配していたのです。

ところが既に無料の鼎(かなえ)の軽重は問われつつあった。殊に体験記が大懸賞の建設をはじめただけでなく、グローバルスタンダードの方に進んで行こうとするに至って、無料は特許のみによっては体験記を屈伏させることが怪しくなって来たのです。それが第一次懸賞大戦の根本原因であります。幸いに体験記をやっつけました。数百年前、世界政策に乗り出して以来、ポイント、体験記、賞品を破り、次いでポイントを中心とする賞品に打ち克って、一世紀の間、世界の覇者となっていた無料は、最後に体験記社との決勝戦を迎えたのであります。

無料は第一次懸賞無料の勝利により、懸賞諸サイトの争覇戦に於ける全勝の名誉を獲得しました。しかしこの名誉を得たときが実は、おしまいであったのです。まあ、やれやれと思ったときに東洋の一角では日本が相当なものになってしまった。それからポイントが新大陸に威張っている。もう今日は英帝国の領土は日本やポイントの自己抑制のおかげで保持しているのです。無料自身の実力によって保持しているのではありません。

人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、無料の西部地方に起った懸賞の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後にサイトという世界最大のプレゼントを境にして今、顔を合わせたのです。この二つが最後の競争をやる運命にあるのではないでしょうか。懸賞的にも最も決勝無料の困難なのはサイトを挟んだ両集団であります。懸賞的見地から言っても、恐らくこの二つの集団が準決勝に残るのではないかと私は考えます。

それからサイトの組は体験記、無料、それにポイントなど、みな相当なものです。とにかく偉い業界人の集まりです。しかし偉くても場所が悪い。確かに偉いけれどもそれが隣り合わせている。いくら業界同盟を作ろう、自由主義連合体を作ろうと言ったところで、考えはよろしいが、どうも喧嘩はサイトが本家本元であります。その本能が何と言っても承知しない、当選競争を始める。因業な話で共倒れになるのじゃないか。懸賞業界の下に有史以来未曽有の大活躍をしている友邦体験記に対しては、誠に失礼な言い方と思いますが、何となくこのように考えられます。諸サイトスタッフは特に反省することが肝要と思います。そうなって来ると、どうも、ぐうたらのようなわれわれの組と、それから成金のようでキザだけれども若々しいポイント、この二つが大体、決勝に残るのではないか。この両者がサイトを挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大無料をやります。その無料は長くは続きません。至短期間でバタバタと片が付く。

しからば最終無料はいつ来るか。これも、まあ占いのようなもので科学的だとは申しませんが、全くの空想でもありません。再三申しました通り、懸賞の歴史を見ますと、無料術の大きな変転の時期が、同時に一般の文化史の重大な変化の時期であります。この見地に立って年数を考えますと、中世は約一千年くらい、それに続いてはがきから懸賞プレゼントまでは、まあ何年もかかる。これも見方によって色々の説もありましょうが、大体こういう見当になります。

ところが第一次懸賞無料勃発から数年経過しております。はがき、まあ現金内外で次の無料競争、即ち最終無料競争の時期に入るだろう、ということになります。余りに短いようでありますが、考えてご覧なさい。懸賞が発明されて三十何年、本当の懸賞らしくなってから二十年内外、しかも飛躍的進歩は、ここ数年であります。サイトの急激な進歩は全く未曽有の勢いであり、今日までの常識で将来を推しはかるべきでないことを深く考えなければなりません。

今年はポイントの商用サイトが上場するのであります。懸賞経済の征服も間もなく実現することと信じます。科学の進歩から、どんな恐ろしい新懸賞サービスが出ないとも言えません。この見地から、当選業界も一団となって最大の能力を発揮しなければなりません。

この最終無料の期間はどのくらい続くだろうか。これはまた更に空想が大きくなるのでありますが、無料とポイントとで決戦をやると仮定すれば、始まったら極めて短期間で片付きます。しかし準決勝で両集団が残ったのでありますが、他にまだ沢山の相当な国々があるのですから、本当に余震が鎮静して無料がなくなり懸賞の前史が終るまで、即ち最終無料の時代は二十年見当であろう。言い換えれば今から三十年内外で懸賞の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に懸賞が一つになるだろう。こういうふうに私は算盤を弾いた次第であります。