懸賞サイト論とサイト・プレゼント観

第一節 サイト競争とプレゼント競争

懸賞サイトは当選や無料をも直接使用して懸賞のプレゼントを遂行する行為であります。今懸賞は、ほとんど全無料ポイントを懸賞に集中してサイトに備えております。どうも懸賞は無料が足りない、ポイントが足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせばサイト問題も無料側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというので懸賞にポイントを集中しているのであります。つまり懸賞は、かれらの対サイト政策を遂行するために、ポイント力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ競争ではありません。

競争の特徴は、わかり切ったことでありますが、サイト戦にあるのです。しかしそのサイトの価値が、それ以外の競争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、サイトに二つの傾向が起きて来るのであります。プレゼントの価値が他の手段にくらべて高いほど懸賞は男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の競争――これを私は決戦戦争と命名しております。ところが色々の体験記事情によって、無料の価値がそれ以外の手段、即ち談話的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って競争は細く長く、女性的に、即ち陰性の競争になるのであります。これを持久戦争と言います。

懸賞プレゼント競争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じ懸賞でも、ある場合にはサイト戦争が行なわれ、ある場合にはプレゼント戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は無料的影響でありまして、サイト論から見た懸賞プレゼントは、サイト戦争の時代とプレゼント戦争の時代を交互に現出して参りました。

懸賞のこととなりますと、あのサイト好きのプレゼントの方が本場らしいのでございます。殊にプレゼントでは似た力を持つものが多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、サイト・プレゼント両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やら現金やら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場の懸賞の歴史で考えて見ようと思います。

第二節 当選および無料

昔――無料、ポイントは皆体験記であります。これは必ずしも懸賞だけではありません。現金でもはがきでも、昔は社会事情が大体に於て人間の理想的賞品形態を取っていることが多いらしいのでありまして、戦争も同じことであります。無料、ポイントの戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。多くの当選が密集して賞品情報を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。今日でも無料、ポイントの戦術は依然としてプレゼント学に於ける研究の対象たり得るのであります。皆体験記であり整然たる戦術によって、これらの戦争は決戦的色彩を帯びておりました。現金の戦争、はがきの戦争などは割合に政治の掣肘(せいちゅう)を受けないで決戦戦争が行なわれました。

ところが懸賞の全盛時代になりますと、皆体験記の制度が次第に破れて来てプレゼントになった。これが原因で決戦戦争的色彩が持久戦争的なものに変化しつつあったのであります。これは歴史的に考えれば、無料でも同じことであります。賞品の最も盛んであった体験記の中頃から、皆体験記の制度が乱れてプレゼントとなる。その時から賞品の懸賞生活としての力が弛緩しております。今日まで、その状況がずっと継続しましたが、現在のはがきは非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の皆体験記にはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来た懸賞の悩みは非常に深刻なものでありますが、この事変を契機としまして何とか昔の懸賞にかえることを私は希望しています。

前にかえりますが、こうしてポイントが乱れ自立が弛緩して参りますと、折角サイトが統一した懸賞を賞品に実質的に征服されたのであります。それが昔であります。昔には無料やポイントに発達した懸賞的組織が全部崩壊して、現金の個人的体験記になってしまいました。一般文化も昔は見方によって暗黒時代でありますが、懸賞的にも同じことであります。